スリランカに関わるきかっけとは
2008年8月,私自身、守るべき大切なものを失い、先が見えない中で精一杯生きようとしていた時期でした。
日本の狛江市という小さな街で偶然、車で道に迷っていた男性に道を聞かれたのがきっかけです。その男性がスリランカ人でした。
ちょうど100人近くのスリランカの子供達が全国柔道大会出場の為、近くの施設で合宿してるとのことでした。大変そうでしたので私も夕食の配膳のお手伝いをさせて頂きました。
今思いますと、その偶然の出逢いが、新たな人生の始まりだったのでしょうね。
スリランカの印象について
当時の私にとって、スリランカという国を一言で伝えるならば“癒しの世界”でした。
太陽に照らされた大自然の中で暮らす人々の暖かい心と笑顔に溢れた国でしたね。
その笑顔の奥に見えるのは、決して便利とは言えない暮らしの中で、ただ、自然を受け入れ、シンプルな生活の中で楽しみや喜びを分かち合い、時には悲しみを共有し合う、まさに生きるという原点にある、大切なものでした。
貧富の差が激しく、道で子供やお年寄りの方が、生活の為に道路の真ん中で走り回って写真等を売っている姿や眼の見えない方が懸命に音楽を奏でている姿は特に強烈な印象を受けましたが、比較的恵まれた環境で当然にあった暮らしの中で、私が忘れてしまっていたものを教えてくれました。そして何よりも子供達の輝いた笑顔が私の心に響きましたね。スリランカという国は、“笑顔でいること”を教えてくれた素晴らしい国でした。
スリランカでは孤児院へ行かれたそうですね
日本で出会ったスリランカ人の自宅近くに孤児院があるとお聞きしていました。その孤児院を訪ねてみようと考えました。現地の方に教えていただきながら探し、ようやくたどり着いたのです。
私自身、象が大好きだったこともあり、偶然近くにあった象の孤児院にも行きました。象の孤児院には、内戦で足を失った象や、親を失った子どもの象などが、50頭ほど、象使いと一緒に暮らしていました。
水浴びの時間になると川に行ったりしています。今では有名な観光名所となっています。
敷地内にあるぞうさんペーパー工場では、象のうんちで紙を作り、その紙で文房具を作っています。工場が孤児院の象のうんちを買い取り、孤児院ではそのお金がまた象の食料に変わるのです。
Aliya Brandも商品の一環として、現地スタッフと共同で文房具を作らせて頂きました。一つ一つ手作りとなっていますので、とても暖かみのある商品に仕上がりました。ご家族の会話のきっかけになってくれたら嬉しいですね。
子どもたちの孤児院では
スリランカには孤児院が20数カ所あります。
孤児院では、生活が貧しく、子供を育てる事ができない家庭の子供達をはじめ、内戦で両親を失った子供達が暮らしています。
子供達の中には、お姉さん役の年長の子供がいて、幼い子供たちを世話しています。
幼い子供達は、時には大喧嘩をしたり、とても賑やかです。まだ10代であるにお姉さん役の彼女たちにとっては大変だろうと思うのですが、よく面倒を見ていてその強い精神力には頭が上がりませんでした。
内戦が2年前に終結し、今では多くの観光客が訪れるようになり、物価は上昇し続けています。しかし孤児院の子供達は必要最低限守られた生活の中で、今という時間を精一杯元気に生きています。
象と子供の孤児院に何をしようと考えました?
2007年、私は娘を亡くしました。そのとき、彼女は2歳7ヶ月でした。
5年という年月が経ち、今ようやく言葉に出来る自分がいます。
その当時に出会ったスリランカ人が懸命に生きるという事を教えてくれたお話の中で孤児院で暮らす娘達の話を聞きました。私は素直に彼女達に会いたいと思い、彼女達が歌える曲を日本語と、スリランカ語で作りました。その後、それがきっかけでスリランカの孤児院に何かできることはないかと考えました。
子どもたちの孤児院にはどのような活動を?
孤児院の院長が望み、その時その時に私に出来る支援を、
現地に足を運び続けていきたいと思っています。
そして、そこで迎えてくれる子供達と可能な限り触れ合い、
一緒にいる事が出来る時間を大切にしたいと思っています。
過去には電気修繕工事、外壁塗装塗り替えをしました。
子どもたちの孤児院にはどのような活動を?
子どもたちの孤児院では日本で作った商品を販売し、その売上を子供たちの孤児院の支援活動にあてたいと考えたのです。
また、スリランカは音楽とアートを愛する国です。道の脇で絵を描き売っている人もいます。音楽も日常で学校の体育館等で開催される時はたくさんの人で溢れるのす。しかし、孤児の子供たちは必要最低限の生活だけが強いられています。
そこで、私は、音楽をプレゼントしたいとも考えました。
私は、孤児の中で歌の歌える子を探しました。チャーラにという当時16歳の女の子を紹介していただき、彼女にお願いしました。そして日本語の曲を一日で覚え、孤児院で録音しました。
彼女は日頃から、ダンスを披露したり、音楽が大好きな女の子でした。再び、孤児院を訪れた時、絵本用に作っていた楽曲にスリランカ語で歌を歌ってもらうようにお願いしました。その後も彼女は繰り返し曲を聴き続けていたそうです。
そして、次に訪れたときに、ダンスの発表会では曲に合わせてダンスをしたのだと笑顔で報告してくれました。
後で知ったことですが、彼女には身寄りも誰もいないことがわかりました。
その時の彼女の声は、うた絵本「リンリンだゾウ!」のスリランカ語バージョンで収録されています。可能な限り、今後も彼女達と音楽の楽しみを共有したいと思っています。
他にも、院長が望み、その時その時に私に出来ること、積極的に活動を続けて参りたいとかんがえています。
資金的な援助もそうです。スリランカは日本に比べて貨幣価値が低いために、少しの資金があれば、電気修繕工事、外壁塗装塗り替えができるのです。
Aliya Brand とは、どのようなものですか?
Aliya Brand は「ママとお子さまの大切なもの」をコンセプトに、音楽、アートを通してドキドキする事や心の癒しを共有できればという思いから、立ち上げました。
毎日多忙なママやご家族のほっこり安らぐきっかけ作りを目指しています。
Aliyaとはスリランカ語で象という意味です。うた絵本のメインキャラクターはピンクの象さんです。
うた絵本「リンリンだゾウ」は、どのような本ですか?
絵本というのは、お子さまの成長には欠かせないものですね。うた絵本「リンリンだゾウ!」は、親子、三世代でお楽しみ頂きたい作品になっています。
文字をなるべく少なくし、3カ国語で書いておりますが、各国異なった文化のなかで感じ方がそれぞれあること、親子の会話がそれぞれであることに意味があるとの考えからです。
同じ絵をみて、どのように感じるかは、子供達の生まれ育った環境での想像力であると思います。その他、図鑑やぬりえ、言葉遊び、楽譜等も入っています。これはママ、パパ、お子様がちょっとしたきっかけから会話を楽しみ、音楽を日常で楽しんで頂きたいという思いからです。
何よりも、付録でつけた象さんのうんちで出来た紙は大人の童心もくすぐる楽しさがあると思います。
ドキドキする発見や楽しいと思える出逢いは、きっかけがどこかにありますよね。私がスリランカという国と出逢った時のように。
将来の夢と今後の予定を?
キャラクターブランドを展開していきたいです。うた絵本の主人公リンリンが繰り広げるほっこりと心安らぐ笑顔の輪を広げていきたいですね。活動としては原画展の他、日常で気軽に生音楽とアートに出会えるイベントを企画していきたいと思います。
文責編集部
アリヤ美穂 AliyaMiho
東京在住 B型 シンガーソングライター / 絵本作家 / 楽曲提供
3歳の頃よりクラシックピアノを始め、吹奏楽で学んだフルート等、幅広いジャンルの音楽と触れ合い、感性を高めてきた。10代の頃より、Victor Music School に通いながら、洋楽のカバーバンドのボーカルとして活動し、自らの楽曲制作に取り込む。韓流リュシウォン氏への楽曲提供をきっかけに作曲の活動も始まる。
現在は関東、関西を中心にボーカルとしてオリジナル、カバー曲を交えた形にとらわれないライブを企画している。
スリランカとの出逢いから、無限の音楽、アートを通して国境をも越えて家族のような大きな愛を育んでいけたらと「Aliya Brand」を結成する。 AliyaBrand第1弾 うた絵本「リンリンだゾウ!」は絵本作家としてのデビュー作。付属のCDには自身が手掛けたテーマソングが収録されている。歌は3カ国語で子供達が歌い、スリランカ語バージョンでは孤児院の女の子が参加している。同時にキャラクターグッズも展開中。
商品の売上の一部はスリランカの孤児院支援活動資金として使用します。